The Voice

2025年2月 森口 一さん
(味の浜藤株式会社 取締役会長)

日本の魚食文化を伝え続ける100周年物語

森口一さん

 森口さんは慶應高校を経て、慶應義塾大学商学部をご卒業されたと伺っています。大学4年間はどのように過ごされましたでしょうか?

森口さん: 入学当時は学園紛争の影響を受けまして、なかなか日吉キャンパスに入ることが難しかったです。それがきっかけであまり大学に行っていません。専ら当社の仕事をアルバイトとして手伝っていました。アルバイトで稼いだお金を使って夜な夜なお酒を飲んだり遊んでいました。私は元々商社に就職して海外に行きたかったのですが、成績が足りず、商社への就職は叶いませんでした。代わりにある電子機器メーカーから内定を頂きました。しかし、突然父親からうちの会社の仕事を手伝ってくれと言われたので、内定先の会社を辞退して、うちの会社の仕事を継ぐため、4年生の最後の春休みを使って北海道の網走に修行に行っていました。そんな学生生活でした。

  味の浜藤は2025年に創業100周年を迎えます。100年企業は日本の全企業に占める割合はたった3%程度です。長寿企業となる秘訣を教えていただけますでしょうか?

森口さん: 最初から100周年を目指して経営をやってきたわけではないのですが、結果として100周年を迎えることができました。日頃から顧客第一主義に考える正直な経営(決して嘘をつかないこと)を心掛けています。消費者に対してもそうですし、社員に対してもそうですし、周りの人に対してもそうですね。それを実践して信用を得た結果として、100年間経営を続けることができたということです。そして、商品は美味しくないといけませんし、安心安全でないといけませんし、健康志向を目指さないといけません。こうしたこと全てを心掛けてきました。あとは、世の中の変遷に対して、迅速かつ的確に対応できたことも大きいと思います。

 1925年に森口さんの祖父が味の浜藤を創業されてから現在までの間、販売商品や販売チャネルが時代とともに大きく変わってきていると思います。現在は築地本店・百貨店・エキナカなどで販売店を有していますが、今後はどこを重点的に伸ばしていきたいとお考えでしょうか?

そして、人々の食生活と食文化は今後どんな風に変化していくと予想されますでしょうか?

森口さん: 当社は1925年に創業して、1951年に大きな転換点を迎えました。それは百貨店に出店することにしたことです。それまでは全部卸売り販売していたのですが、直接消費者に販売することになりました。 そして、今後に関してですが、今の販売スタイルを維持しつつ、もう一度企業向けの販売を強化していきたいと考えています。例えば、飲食店は人手が不足しており、食材を最初から調理するのではなく、既に出来上がったものを使いたいので、そういう所に我々の商品を卸していくことを考えていきたいですね。実は、私は数年前にマレーシアのある富裕層向けの和食レストランに行きました。なんとその店で一番売れている商品は銀鱈の西京焼だそうです。値段は日本円に換算すると一切れ4800円でした。その店のすき焼きセットの値段が6000円に対して、銀鱈の西京焼は高いなと思いました。現地で和食を食べたい富裕層の人たちが注文しているそうです。当社はいずれそういう店に商品を卸せるようにしたいと思いましたね。これは日本国内の店にとどまらず、輸出も含めて考えていきたいです。

私は50年前にハワイに住んでいた時の為替レートは1ドル308円でした。その時に当社はたくさん商品を輸出していました。今は1ドル150〜160円ぐらいですが、もう少し円安になると輸出もしやすくなります。日本の魚食文化が海外で根強い人気を誇っているので、とても大きなチャンスだと思います。最近になってある航空会社のファーストクラスで機内食として当社の商品が提供されるようになりました。50年前に私がハワイにいた時に日本人の平均寿命は世界一になりました。周りのアメリカ人は驚いて、なぜ日本人の寿命が世界一になったのかとても不思議でした。後に和食が理由だということが分かり、世界的な和食ブームに繋がったのです。ハワイの日系人はおにぎりを食べて、味噌汁を飲んで、長生きしています。そして、2013年に和食が世界無形文化遺産にもなりました。これから更に日本の食文化が世界で羽ばたいていくと考えています。味の面でも、健康の面でも、文化の面でも、世界でもっと注目を浴びるようになると思います。

 森口さんは1974年(26歳)から2年間ハワイで日系食品スーパーシロキヤで勤務されていたと伺っています。ハワイで得られた学びとご経験がその後の味の浜藤の商品開発とビジネス展開にどんな風に役に立っていますでしょうか?

森口さん: ハワイに住んでいる人たちはよくお弁当やお惣菜などできたものを買います。その当時は当社の商品がたくさんハワイに輸出されており、ハワイで最終調理を経て売り場に並べていました。私がハワイから日本に帰ってから、日本国内の商品構成もハワイと同じように既に出来上がったものを中心にしたいと思ってやってきました。今当社の商品の約半分はお弁当とお惣菜です。

 森口さんは22歳の時に味の浜藤にご入社されてから現在まで55年が経ちました。2018年に叙勲「旭日小綬章」も受章されました。半世紀以上にわたるプロフェッショナル人生を振り返ってみて、最も充足感とやり甲斐と喜びを感じる瞬間はいつでしょうか?

一貫して情熱的に取り組んでこられた原動力と心の支えはどこにありますでしょうか?

森口さん: 最も充足感とやり甲斐を感じた瞬間は、我々のお客様に安心安全で美味しい魚を提供できた時です。 私が入社した当初にぶつかった壁は魚の原料が手配できなかったことです。1970年頃は日本が高度成長期に入り、化学工場があちらこちらで建設されており、空気や水などの環境汚染に対する認識がほとんどなく、汚染水も海に垂れ流しされていました。結果として魚が住めなくなったのです。魚が奇形になったり、海面にぷかぷか浮いてきたりしました。当時我々の魚の原料はほとんど日本近海で獲れたものを使っていました。いわゆる輸入の魚はあまり使用していなかったです。ですから、私は慌てて原料調達のために海外へ行かなければいけませんでした。これが私の最初の仕事でした。

最初に行った海外の国はマレーシアでした。一年半ぐらいマレーシアにいて日本に戻ってきました。その後、ニュージーランドに行って、原料となる魚を探し回って日本に輸入しました。今振り返れば、その当時は原料調達のため大変な苦労をしましたね。実は、私が55年前入社した頃に販売していた商品のほとんどは今販売していません。理由の1つは魚の品種が時代とともに変わってきています。もう1つは珍味(うに、からすみ、このわた、塩辛など)と言われるものの原料が激減しました。ですから、良質の原料の確保は常に一番の課題です。

ちなみに、今当社の主力商品である銀鱈とカレイなどの原料はアメリカ、カナダ、アルゼンチン、チリなどからの輸入になります。最近になってサーモンも段々北海道で獲れなくなり、チリやノルウェーの養殖の魚を買っています。実は、近頃日本国内でも魚の養殖ができるようになりました。海で養殖する場合もありますし、陸地でも養殖が始まっています。養殖の魚の品質はとても良いので、これからは養殖から良い原料を見つけて良い製品を作っていきたいと思っています。コストの面で言いますと、養殖の魚は餌をあげないといけないので、コストは高いです。同時に品質もとても良いです。必要な時に必要な量を入手できます。これからの時代は養殖の魚は更に増えていくと思います。

そして、原動力と心の支えについては、日々安心安全な商品を消費者にお届けし、絶対に事故(食中毒など)を起こさないことです。そのためにどんな努力も惜しみません。当社が扱っているのは食べ物ですから、常に細心の注意を払っています。今でも私は毎朝7時半に出社しています。それは会社の空気を見るためです。朝の雰囲気と気配で何かあったかが分かるのです。50年以上もやっていれば分かります。何よりも事故が起きる前に察知することが大事です。このような地道な努力の積み重ねでお客様に安心安全な商品を毎日お届けできることが一番の心の支えです。

我々魚加工業という業界で生き残れる企業がなかなか少なく、当社のような100周年を迎えられる会社はとても少ないと思います。かまぼこ屋さんや珍味屋さんといった老舗は時々見かけますが、全体的に見るとやはり少ないです。それは原料の問題もありますし、環境の問題もありますし、お客様の嗜好の変化もありますし、変化する要素が非常に多いです。例えば、1980年頃当社の一番売れ筋商品はおでんの種でした。一家団欒しておでんを食べて楽しく過ごす家庭が多かった時代ですね。今は大人数で食卓を囲む時代ではなくなり、一人暮らしも増えてきているので、コンビニでおでんを買う時代になりました。ですから、激動する時代の中で魚加工業を営む当社は100周年を迎えられたということはとても喜ばしいことです。いつも消費者の消費行動をウォッチし続けた結果、今の当社があるという風に考えています。

 2018年に味の浜藤の商品「銀鱈西京漬」がモンドセレクション金賞を受賞し、翌19年には「おいしい海苔」がお弁当・お惣菜大賞を受賞し、さらに20年に「銀鱈西京漬」が3年連続してモンドセレクション金賞を受賞し、その中でたった一点しか選ばれない最高金賞審査委員長賞も受賞しました。次の100年に向けてどんなヒット商品を作っていきたいでしょうか?

森口さん: そうですね、我々は常に美味しいものを作っていると思っています。お客様も美味しいと思って買ってくださっていると思っています。しかし、第三者の評価も欲しいので、モンドセレクションに出品しています。このように賞をいただくことによって、我々の自信になるわけです。これからも出品を続けていきたいと考えています。

今後どんな商品を作っていきたいかに関して言いますと、今私が注目しているのは冷凍商品です。今冷凍技術が極めて良くなっていますし、冷凍商品の種類や数もとても豊富になっています。野菜や肉類や魚介類やケーキなど本当に様々な冷凍商品があります。ですから、当社も冷凍商品をよく研究して強化していきたいと考えています。東銀座で今当社の冷凍お弁当(おかずセット)を自動販売機で売っています。お客様は自動販売機で買って、自宅または会社で解凍して食べるという感じですね。このような消費スタイルが段々広がっていくのではないかと思います。また、サスティナビリティの観点から見ても冷凍技術を活用した冷凍商品が更に世の中で増えていくのではないかと考えています。

森口一さんと編集長シャオシャオ

 惣菜とお弁当製造の一番の理念は家事代行業だと森口さんはおっしゃっています。具体的には保存料と着色料を使用しない、化学調味料を使わないで出汁を取るなど、家庭の台所と同じように調理することを徹底されていると伺っています。なぜここまでこだわりを持っていらっしゃいますでしょうか?

森口さん: 今の時代の女性たちの多くは仕事を持ち、仕事と家事と子育てなどを同時にこなしていますので、なかなか大変だと思います。特に育児をしているお母さんたちからしますと、一番心配しているのは子供の成長に欠かせない食べ物です。車に例えればガソリンですね。ですから、当社は常に母親たちの気持ちになってお弁当と惣菜作りに励んでいます。

  日本人の伝統的な食文化である和食は2013年に世界無形文化遺産に登録され、世界中で人気が高まっています。今後さらに日本の「魚食文化」を大きく育てていくためにどうしたら良いとお考えでしょうか?

森口さん: 既に日本の魚食文化は世界に認められており、お寿司や天ぷらなど世界中で大きなブームになっていますが、これから更に大きく伸びていく可能性が高いと思います。魚は肉と違って、種類は豊富ですし、食べ方も色々とあります。そして、魚には地域性がありますので、お料理のバリエーションがたくさんありますし、価値もとても高いと考えています。ですから、我々はこれからも魚食文化を大切にしていきたいと思っています。

 森口さんが思い描く味の浜藤の青写真を教えていただけますでしょうか?

森口さん: 次の100周年に向けて、今後も魚加工業のトップランナーであり続けたいと考えています。そのためには今まで以上に努力を続けていかなければならないと思います。

 森口さんは現在日本食生活文化財団の理事を務められていると伺っています。具体的にどんなお仕事をしていますでしょうか?

森口さん: 日本食生活文化財団には大きく分けて2つの目的があります。1つ目は日本の食文化を調査研究し、国内外の人々に広く知っていただくことです。文化庁と一緒に様々なことに取り組んでおり、啓蒙活動やPR活動を行っています。2つ目は日本の食文化に貢献した方々を顕彰することです。毎年11月に受賞者の方たちを招いて表彰をしています。 日本には文化勲章という制度があり、工芸や芸能などの分野の素晴らしい方々を表彰するというものです。しかし、食の世界ではそういった制度がありません。ですから、日本食生活文化財団では食文化の世界で素晴らしい方々を表彰して励ましたいという目的があります。

 森口さんは味の浜藤の会長として大変ご多忙を極めているとお思いますが、普段はどのようにリフレッシュしていますでしょうか?ご趣味は何でしょうか?

森口さん: 気の置けない友人たちをたくさん作って、友人たちと食事したり、語ったりするのが私のリフレッシュ法です。週3回ぐらいそういう時間を作るようにしています。あと、家内との共通の趣味は旅行です。 私は今まで仕事もプライベートも合わせて53カ国106回海外に行きました。リフレッシュといえば、やはり旅行ですね。

 今森口さんの娘さんが味の浜藤の4代目社長として経営の舵取りを担っていると存じますが、娘さんにどんなことを期待していますでしょうか?

森口さん: 娘に経営のバトンタッチをしてから7年が経ちました。娘は4代目として一生懸命にやってくれているので、安心しています。これからも健康でいてくれて、時代に見合った経営をやってほしいと思います。やはり時代とともに経営環境も変わりますし、消費者の嗜好も変わりますし、当社の社員の価値観も多様になっています。様々な出来事に対して的確に判断しながら決断していって欲しいと思います。 私は今でも毎朝会社に顔を出していますが、ほとんど経営のことに口出ししていません。娘にできるだけ自由にやってほしいと思っています。

 もし時計の針を巻き戻せるとしたら、進む道をもう一度選べるとしたら、森口さんは今と同じように3代目として家業を継ぎますでしょうか?それとも、他に進みたい道がありますか?

森口さん: もう一度選べるとしたら、やはり家業を継ぐ選択をしたと思いますね。なぜなら、奥がとても深かったからです。原料や加工技術や環境や流通などやることが本当にたくさんあり、更にバブル経済の崩壊や東日本大震災やコロナなど経営環境をめぐる変化もたくさんあり、決して順風満帆ではなかったです。

特に東日本大震災の時に、当社の福島県にある2つの工場が被害に遭いました。1つはかまぼこなどの水産練り製品を製造しています。もう1つは西京漬製品を製造しています。地震の影響で水が来なかったです。水が来ないと商品は作れません。当社の工場にある1500トンの冷蔵庫は水で冷やしています。水が来なかった時に社員が近くの川で水を汲んで来て、冷蔵庫を冷やしていました。もし冷蔵庫が止まったら、魚が腐ってしまい、使えなくなりますので、大変なことになります。それから、余震が半年間続きました。更に、風評被害もありました。当社にとって大変な試練でした。本当に会社がつぶれると思いました。その時にある取引銀行の支店長が森口さん、心配しなくて良いですよ、うちが全部融資するからと言ってくれました。この一言を言ってくれたことによって、会社はつぶれないで何とかなると希望を取り戻しました。このように私が味の浜藤での55年間は本当に色々なことがありました。もう一度進路を選ぶとしたら、きっと今と同じ道に進むと思います。

 森口さんの夢を教えていただけますでしょうか?

森口さん: やはり魚食文化を追求していくことですね。魚食文化を通じて健康的な食生活に貢献していくことが我々の企業理念ですから、それを全うしていくことが私の夢です。魚は種類も豊富ですし、季節性もありますし、地域性もありますし、調理方法もたくさんあります。今あるものを更に広げていくことを楽しみにしています。

そして、世界中の色々な国をもっと訪ねていきたいですね。海外の国々に行くと、いつも向こうの魚を見るようにしています。

 森口さんのお好きな言葉を教えていただけますか?

森口さん: 食は人を良くする。

森口さんのお好きな言葉

※聞き手はThe Voice 編集長シャオシャオ

※ゲストの肩書きや記事の内容は全て取材当時(2024年11月)のものである。

編集後記

森口さんは日本の魚食文化を極限まで追求し、魚を通じて人々の健康的な食生活に多大なる貢献をしてこられました。 森口さんのお好きな言葉「食は人を良くする」にありますように、食べ物は人間の体の全てを作っており、車に例えればガソリンです。味の浜藤の惣菜とお弁当製造の一番の理念は家事代行業だと森口さんはおっしゃっています。保存料と着色料と化学調味料を使わないなど、家庭の台所と同じように調理することを徹底しているそうです。味の浜藤が真心を込めて作られた安心安全で栄養価値の高いお弁当と惣菜は私たち老若男女にとって信頼できる良きパートナーだと感じました。

日頃から顧客第一主義に考える正直な経営を心掛けており、全てのステークホルダーに対してそれを実践して信用を得た結果として、100年間経営を続けることができたと森口さんはおっしゃっています。ここ最近ある航空会社のファーストクラスで機内食として味の浜藤の商品が提供されるようになったそうです。今後は更に世界で羽ばたいていって、日本が誇る魚食文化を広く伝えていってほしいと思います。

環境も消費者の嗜好も原料となる魚も全て時代とともに変わり続けます。味の浜藤は100年にわたって時代の荒波を見事に乗り越えてこられました。そこには時代を見通す力、ヒット商品を生み出す力、多様化するニーズに応える力、変革する力、危機に対応する力など様々な力がありました。
次の100年に向けて、更にレジリエンスを高めて、時代のトレンドを的確に捉えて、一歩先を行く商品開発を進めることができれば、きっともっと素晴らしい100年として歴史に刻まれるに違いありません。そして、魚加工業のトップランナーとして、これからも良き伝統を守りながら、新風を吹き込んでくださることと信じています。

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The Voice編集部 thevoicetmc@gmail.com

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