2024年11月 林田 哲さん
(慶應義塾大学医学部外科学准教授(乳腺外科)、慶應義塾大学病院ブレストセンター長、一般社団法人日本乳癌学会理事)
人事を尽くして、天命を待つ!
─ 林田先生は1998年に慶應義塾大学医学部をご卒業されました。現在は外科学准教授兼ブレストセンター長を務めていらっしゃいます。なぜ乳腺外科をご専門として選びましたでしょうか?
林田さん: 私ははじめに消化器外科の中の肝胆膵の研究(特に膵臓)をずっとしていました。チーフレジデント(主任研修医)が終わるまではずっと膵臓を専門としていました。消化器外科の一員として大腸や胃の手術も行っていました。アメリカのボストンへ留学に行っていた時に、たまたま乳がんを研究するラボに所属となり、そこで乳がんの研究をしていくうちに、すごい面白いなと思い始めて、3年間乳がんに関する基礎研究をした後に日本へ帰国しました。帰国後、北川教授から臨床研究でも乳がんを専門にしたらどうかと薦められたこともあり、私自身も乳がんにとても興味がありましたので、臨床研究も消化器から乳がんに変えました。慶應の一般消化器外科全体では、昔から消化器の手術だけでなく、乳がんの手術も担当していました。消化器がメインですが、乳腺も外科医が一緒に診ていたので、私も乳がんの手術をたくさん行っていました。したがって、専門を乳がんに転向することに対して全く障害を感じていなかったですね。
─ 林田先生は今までたくさんの患者さんを診察されたと存じますが、そもそもどんな人が乳がんになりやすいのか教えていただけますでしょうか?
林田さん: 乳がんになりやすい要因は、まず肥満です。BMIが30以上になるとリスクが高いと言えます。そして、お酒とタバコです。あとは、出産や授乳していないこともリスクの一つという風に考えられています。
したがって、普段からしっかり運動して、お酒とタバコを控えて、良い生活習慣を心がければ良いと思います。
─ 今女性9人に1人が乳がんになる時代と言われています。なぜ乳がんは増加傾向にありますでしょうか?
林田さん: それは女性のライフスタイルが時代と共に変わってきているからです。35歳以前に出産や授乳をした女性は乳がんのリスクが比較的に低いと言われています。一方で、35歳を超えてから出産や授乳をした女性、もしくは生涯出産や授乳をしていない女性は乳がんのリスクが比較的に高いと言われています。女性の晩婚化が進んでおり、昔は20代前半で結婚する人が多かったのですが、今は40代で結婚する人が増えてきています。女性のライフスタイルはこの30年で大きく変化したことが乳がんの増加の理由の一つと考えられています。
もう一つの理由は、元々乳がんは欧米の女性に多いがんですね。日本を含むアジア人に比較的少ない病気でした。ところが、食べ物やライフスタイルが欧米化したことによって、乳がんを患う女性が増えてきたとも考えられています。
確固とした理由はまだ解明されていないのですが、統計データを見ると、以上のような傾向があります。
─ 生活習慣、生活環境、ストレス、気分、食べ物、運動、睡眠など様々な要素がありますが、乳がんを含め、がんにならないために私たちはどうしたら良いでしょうか?
林田さん: それはとても難しい質問です。今日本人の2人に1人が何らかのがんにかかる時代になっています。お酒やタバコを控えて、カロリーを摂りすぎず、塩分を控えめにするなど、健康的な生活を心がけた方が良いと思いますが、それよりも、もしかかった時の発見を早くするということに重点を置いた方が賢明ではないかと考えます。乳がんであれば、乳がん検診をしっかり受けることですね。乳がんの場合は、早期発見できれば、まずは治る病気です。根治が可能ながんです。いろいろなタイプとステージがありますが、一概に言えませんが、ステージ1ですと、5年生存率が98%と非常に高い数値ですので、早期発見が非常に大事です。
─ (3D)マンモグラフィー、超音波、MRIなどいろいろな検査があると思いますが、乳がんの正しい検診と人間ドックの受け方を教えていただけますか?
林田さん: 40歳以上で何の症状もない女性(胸にしこり、乳首から出血などの症状)は年に1回超音波とマンモグラフィーの両方を受けることをお勧めします。何らかの症状がある場合は、私のような専門医のところにすぐに来てください。また、お母さんや家族親戚の中で乳がんの方がいる場合は、35歳を超えたら年に1回超音波を受けると良いと思います。30代のうちのマンモグラフィーはあまり有効ではありません。
また、MRIは検診で使いません。なぜなら、生理周期を合わせないといけないので、一番生理周期が良い時期に撮らないと意味がないからです。それから、MRIを撮る時に造影剤を使う必要がありますが、造影剤アレルギーや喘息をお持ちの方には、造影剤を使用することができません。あとは、MRI検査はマンモグラフィーと超音波に比べて検査費用が高いので、検診ではまず使いません。MRIは精密検査の時に使います。私のような乳腺専門医がMRI検査が必要と判断した時にだけ受ければ大丈夫です。
─ 林田先生は実際に外科手術を執刀しはじめたのはいつ頃でしょうか?
林田さん: 私は26歳の頃から消化器と乳がんの手術を実際にやりはじめました。医学部卒業後2年目から3年目頃からたくさん手術をするというのが慶應の外科では普通でした。
今は乳がんの専門性が高まってきて、一つ独立した専門分野として、乳がん専門医でないと、手術してはいけない風潮になってきています。私が医師になりたての頃は、一人の外科医が内臓も乳房も手術をするというのが一般的でした。今の時代は薬や手術の方法などが難しくなってきたので、乳がん専門医でないと、対応できなくなってきました。これは乳腺外科に限る話ではなく、他の分野でも同じです。
─ 林田先生は乳腺外科のエキスパートとしてこれまでにどんなトレーニングを積んでこられましたでしょうか?
林田さん: 乳腺外科は手術できないといけないので、手術のトレーニングについては、先ほど話しましたように、外科医になった頃からずっと続けてきました。乳腺手術だけでなく、消化器手術もたくさんやりました。いろいろな手術のバリエーションを学んで、今の乳がんの手術に生きていますね。乳がんの手術しか経験がない医師は視野が狭くなりがちですが、消化器の手術の経験があると、コツのようなものを応用できるので、幅が広がると思います。したがって、消化器手術の経験をたくさん持っている所は私のアドバンテージだと思います。
そして、乳がん治療においては、手術よりもお薬を使うことが大事ですので、お薬の勉強はたくさんしました。海外の学会や日本の乳がん学会などに行って勉強したり、講演や発表したり、薬に関する知識をたくさん勉強しました。
さらに、ほかの科の医師とのコラボレーションも重要です。形成外科の医師に乳房再現していただくなり、遺伝の医師に遺伝性乳がんを診察していただいたり、20〜30代の患者さんに対して抗がん剤を使うと妊娠できなくなるので、妊孕性に関することを教えていただくなりしています。乳がんというのは、外科手術と薬物療法だけでなく、様々な分野のことを知らないといけないので、その都度勉強していましたね。
また、製薬会社と一緒に、お薬の副作用をどうやって軽くしていくかについても共同研究していました。
─ 外来、手術、教育、研究など、お仕事の内容は多岐にわたると思いますが、どのように時間を配分していらっしゃいますか?
林田さん: 臨床(外来と手術)に関しては、時間が決まっていますので、自分の職務として責任を持ってやっています。教育に関しては、様々ありますので、例えば学生に臨床の教育をする時は、外来で一緒に診察をしたり、手術の見学をしていただいています。ですので、学生教育と臨床は切っても切り離せないです。研究に関しては、完全に空いている時間で行うしかありません。例えば、今日の午前中に手術をして、午後は研究論文の整理をしていました。
また、学会の仕事もあります。今年私は日本乳癌学会の理事になりましたので、その仕事もたくさんありますね。
─ 林田先生は一年間何件の乳がん手術を行っていますか?
林田さん: 乳腺外科の手術日は火曜日と金曜日です。多い時は私一人で一日三件の手術をします。今年慶應病院で行う全身麻酔の乳がん手術がおそよ400件になる見通しです。400件のうちの約三分の一が私が執刀します。今慶應病院に乳腺専門医は5人いますので、私一人で1.5人分の手術数をこなしています。ほかの消化器の手術に比べれば、乳がん手術一件あたりにかかる時間は比較的短いです。
私は慶應病院の乳腺外科の症例をできる限り増やしていきたいので、ブレストセンター長として率先して多くの手術をしています。周りのスタッフもこれに刺激を受けて、自分たちもたくさん手術しようと思ってもらえればと考えています。私が慶應病院ブレストセンター長に就任する前は乳がんの年間手術数は約180例でした。それがこの7年間で今400例になろうとしています。年間手術数400件となると、日本のトップ20の施設となり、年間500件を超えると、日本のトップ10の施設に入ります。
─ 少年時代の林田先生はスポーツがお好きで、ずっとサッカーをやっていたと伺っています。サッカーで鍛えてきた運動神経が今のお仕事にどのように役に立っていますでしょうか?
林田さん: 私は子供の時に神奈川県のあざみ野に住んでいたのですが、あざみ野FCと言いまして、今全国大会に出ているとても強い少年サッカーチームがありまして、私はそのチームの創設メンバーの一人です。小学校2年生から大学生までずっとサッカーをやっていました。中学と高校はサッカー部の主将を務めていました。大学生の時は医学部リーグに所属しており、全ての大会で優勝した年もあります。泥だらけになって、ずっとサッカーをやっていたので、サッカーの記憶しか残っていませんね、笑。
サッカーで鍛えた運動神経は今の仕事にあまり役になっていないように思いますが、チームプレイは大いに役になっています。今働き方改革の推進もあって、外科医のチームプレイがとても重要になってきています。一人でずっと患者さんを診るのではなく、みんなで分担しながら診ましょうという時代になってきています。サッカーを通じて培ってきたチームプレイの精神や方法が大いに役に立っていると考えています。また、外科の医師たちとだけでなく、看護師や薬剤師や検査技師など広い意味でチーム医療を進めていくことも重要だと思います。
─ スポーツと外科医・乳腺外科トップとしてのお仕事の共通点はどんな所にあるとお考えでしょうか?
林田さん: 一つは今お話ししましたチーム医療です。もう一つは医師は体力を使う仕事ですので、すぐに風邪を引いたり体調不良になったりすると、患者さんにご迷惑をかけることになります。私は小さい時からずっとサッカーで体を鍛えてきたおかげで、今は風邪を全く引かないで、毎日健康でいられます。
─ 林田先生は2005年から2008年までにハーバード大学マサチューセッツ総合病院で研究員として3年間を過ごされたと伺っています。どんな学びとご経験を得られましたでしょうか?
林田さん: ハーバード大学へ留学するまではずっと臨床業務をしていました。手術したり、抗がん剤治療したり、薬を投与したりしていました。一方、留学した時期は主に基礎研究に没頭していました。細胞培養したり、ネズミを使って実験したりして、基礎研究の楽しさと素晴らしさをたくさん知りました。未知のことについて一歩一歩研究を進めて明らかにしていく過程は本当に面白いです。例えば、なぜ乳がんは転移するのか、なぜこのタイプの乳がんは増殖しないのに、あのタイプの乳がんは増殖するのか、このタイプの乳がんに対して薬が効くのに、あのタイプの乳がんに対して薬が効かないのか、こうしたものが将来的に臨床や新薬の開発に活用していくことが面白いなと思いますね。
─ 今林田先生が注力されている研究テーマを教えていただけますか?
林田さん: いわゆる医療とITとAIをつなぐ研究に注力しています。例えば、AI技術を医療に応用したり、IT技術を医療に応用したりする研究ですね。6年前からAIが得意なIT企業と連携して取り組んでいるのは、乳房超音波検査画像をAIが診断してくれるシステムの構築です。すでに医薬品医療機器総合機構に認めていただいたので、今後日本全国に普及していくことが可能になりました。このシステムを使うと、超音波画像を診断できる最高レベルの医師と同レベルの診断をAIがしてくれます。特に、日本全国の乳がん検診の施設への導入が期待されています。普通の乳がん検診施設にほとんど専門医がいないので、そこに最高レベルの診断ができるAIシステムが導入されれば、日本全国で同じレベルの診断ができるようになります。これは画期的なことですね。
─ 他の臓器のがん治療と比較した場合、林田先生が感じる乳がん治療に携わる魅力と苦労をそれぞれ教えていただけますでしょうか?
林田さん: 他の消化器がんに比べると、圧倒的に根治する患者さんが多いので、乳がん治療に携わる私にとって嬉しいことですね。根治するために手術やお薬の治療など、自分の考えで患者さんに治療法を提供できます。がんと言われたら、やはり患者さんはびっくりして悲しみますので、私の知識や技術で根治できて良かったですねという所まで持っていけることが一番良い所だと思います。
一方で、他の臓器のがんと比べて苦労する所は、乳房の形(見た目)が変わってしまうという点ですね。温存手術であれば、今は綺麗にできますが、全摘手術でしたら、乳房再建しても完全に元通りになるのはなかなか難しいと思います。したがって、いかに見た目を綺麗に保てるかという所は乳がん治療の際に工夫している点です。いろいろな技術を駆使して、何とか整容性を保てるように努力しています。
─ そうなりますと、乳がんの手術は林田先生が執刀しますが、乳房再建の手術は形成外科の先生が執刀されますか?
林田さん: そうです。乳房再建を希望される場合は、形成外科の先生と連携して治療します。いろいろなケースがありますが、乳がん手術と同時に再建を希望される患者さんもいますし、まずは乳がんの治療に専念し、気持ちが落ち着いてから再建を考えたいという患者さんもいます。それぞれの患者さんの希望を聞いて最適な治療方法を考えます。もちろん、病状が特に重い方に対しては、まずは乳がんの治療だけに専念して、合併症などのリスクも考慮して、再建のことは後で考えたほうが良いですよというアドバイスは私からします。
─ 臨床、研究、教育などお仕事は幅広いと存じますが、休日はどのようにリラックスしていますでしょうか?睡眠時間は何時間でしょうか?
林田さん: 休日は何もしていないことが多いですね、笑。家の周りを2時間ぐらい散歩したり、1カ月に一回ゴルフに行ったりしています。私のお休みは日曜日だけですね。第二と第四と第五土曜日は慶應病院で外来をやっており、日によっては手術することもあります。第一と第三土曜日は他の病院で乳がんの検診を診ています。月曜日は自分の論文と研究のことをやっています。水曜日と木曜日は慶應病院で外来をやっています。火曜日と金曜日は手術をやっています。いつも忙しくしています、笑。
睡眠時間は大体7時間を取っています。夜10〜11時ぐらいに寝て、翌朝5〜6時に起きています。
─ 患者さんの気持ちに共感したり、痛みを分かち合ったりして、ご自身の気分が落ち込んだ時に、どのように切り替えていますか?先生のメンタリティはどんな風に管理していますでしょうか?
林田さん: そうですね。私自身の気持ちにバリアを張るようにしています。心を動かさないようにですね。治療しても亡くなる患者さんもたくさんいますので、例えば、15年前に私が手術をして、5年後に乳がんが再発して、そこから10年間ずっと毎週外来で診察と治療をしてきて、10年以上お付き合いになるわけですから、そういう方が最後に亡くなられる時に、気持ちは悲しいですが、そこに心のバリアを張っていますね。あえて感じないように自分の心をコントロールしています。毎回泣いていると、医者を続けられなくなる気がします。だからこそ、患者さんにとって良いと思えることを率直にお話しできますね。例えば、あなたは後1カ月しか生きられませんという時に、治療をしない方が長生きできる、もしくは良い時間を過ごせるという風に思ったら、心を鬼にして治療しないという選択を患者さんに伝えられるのです。もし家族だったら、きっと何が何でも最後まで治療をしてあげたい気持ちですよね。私は心にバリアを張って、あえて第三者的な所から見ているので、感情に流されすぎないで、理論的なお話しができると思っています。そうは言っても、私は若い時によく泣いていましたよ。今は医者として心にバリアを張りつつ、患者さんに共感できるようになりましたね。
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慶應大学医学部をご卒業されてから現在までの26年間にわたるプロフェッショナル人生を振り返ってみて、最も充足感とやり甲斐と喜びを感じる瞬間はいつでしょうか?
一貫して情熱的に取り組んでこられた原動力と心の支えはどこにありますでしょうか?
挫折と困難にあって、心が折れそうな時はありましたか?
林田さん: やり甲斐を感じる瞬間というのは、やはり患者さんにありがとうございましたと感謝される時ですね。林田先生のおかげで根治できましたと言われた時ですね。そういうねぎらいの言葉をいただいた時です。外科医は単純なので、この一言だけで満足するというか、涙が出るぐらい嬉しいですね!笑。
私の原動力と心の支えは責任感です。日本の乳腺外科医の数はとても少ないです。日本全体で見れば乳がんを診療できる医者は少ないです。せっかくそういう技術と知識があって、私一人抜けたら、その分患者さんを治療できる医者が一人少なくなるので、申し訳ないという気持ちですよね。私は2008年にアメリカ留学から帰国しまして、その後乳腺専門医となりました。純粋に乳がんの手術をして治療できる医者が一人いなくなると、社会の損失につながるという気持ちですね。その気持ちが一貫して乳がんを治療する専門医としての私を今日まで支えてきたと思います。
そして、挫折に関していえば、私の中で挫折はあまりないと思います。もしあるとすれば、外来の診療の時ですね。外来がとてもたくさんの患者さんが来られるので、日によって1時間〜2時間お待たせするプレッシャーの中で、多い日は80人の患者さんを拝見するので、最後の方はさすがに疲れてきますね。30代と40代の時は大丈夫でしたが、今私は50代になって、だんだんその疲れが蓄積してきて、外来の日の午後4時〜5時になってくると、心が折れそうになります。。。ですから、疲労による挫折感と体力的なことで心が折れそうになる時がありますね。一方、研究における挫折はあまりありません。なぜなら、研究で良い結果が出るかどうかはその人が持っている運のようなものがありますので、単純に挫折という風に解釈していません。アプローチ方法を変えてまたやり直します。研究というのはそういうものです。
─ 林田先生はAIやがんゲノムなど新しいものがお好きだと伺っています。日進月歩のAI技術が乳がん治療をはじめとする未来の医療とライフサイエンスにどんな革新をもたらすとお考えでしょうか?
林田さん: 医療全体に関していえば、AIは必ず臨床に入ってくると思っていますが、入り方が思ったより遅い感じがします。AI診療を全面に押し出す病院はまだありません。乳房超音波検査のAI診断や内視鏡のAI診断が少しずつ広まっていったりしていますが、日本全国に広がっている状況にまで至っていないです。10年ないし15年かけてゆっくりとAIが医療の中に入り込んでいくことは間違いないと思います。そうしますと、今まで人間がやっていた単純作業をAIが肩代わりしてやってくれるので、その分の時間が生まれると思います。新しく生まれた時間をまた患者さんのために費やすことができますよね。そういう時代が来ると考えています。
私が今取り組んでいることについて言いますと、一つは抗がん剤治療を受けている患者さんが毎日自分の症状をLINEで知らせてくれたり、LINEでこちらの質問に答えてくれたりします。我々は毎日これらの情報をもとにモニタリングしています。例えば、急に吐き気がとても強くなった時に、状態を聞きに我々から患者さんに電話します。そうすると、患者さんの具合が悪くなることを未然に防ぐことが可能となります。そのほか、病院に来る回数を減らしたり、時間のロスを減らしたりするメリットもあります。このように患者さんの症状の改善のためにテクノロジーの力を活用しています。もう一つは今人間がやっている超音波診断を全部AIが全自動で行うことによって、医療従事者の負担が軽減します。
─ 乳がん治療のトップランナーでいらっしゃいます林田先生が考える乳がん治療の未来像を教えていただけますでしょうか?
林田さん: 将来的に乳がん治療のための手術はなくなると思います。私が生きている間は実現しないのではないかと思いますが、数十年後に実現する可能性が高いと考えています。つまり、薬で乳がんを治す時代がやってきます。今の薬はとても良くなっています。
また、ラジオ波と言いまして、切らないで焼くという治療方法が保険でできるようになりました。乳がんを熱で焼く治療方法です。外から針を刺してがんの部分を焼いて治療します。昔は大胸筋も小胸筋もリンパ腺も全部取る乳がん手術から、温存手術ができるようになって、更に切らないで焼くという治療法ができて、どんどん良くなっていますし、かつ乳房も綺麗に残るという治療にシフトしてきています。
─ もし時計の針を巻き戻せるとしたら、進む道をもう一度選べるとしたら、林田先生は今と同じように医学の道に進みますでしょうか?それとも、他に進みたい道がありますか?
林田さん: 他に進みたいですね。日本は資本主義の国ですから、起業家としてビジネスの世界に入ってみたいです。商社やコンサルやITなどの仕事をしてみたいです、笑。
─ 林田先生の夢を教えていただけますでしょうか?(お仕事の夢とプライベートの夢)
林田さん: 欧米では乳がんの専門家のトップを務めるのは女性がほとんどです。一方、日本では女性の乳腺外科医が多いですが、女性のトップはあまりいないですね。私は今まで何人もの女性乳腺外科医を育ててきて、かつ大学病院でも教授になれるような教育をしてきた子が何人もいますので、そういう子たちが大きな施設のトップになって、日本の乳腺外科に新風を吹き込んでくれることを期待しています。これが仕事の夢の一つですね。もう一つの夢は、乳がんの手術件数を増やして慶應病院ブレストセンターを日本有数のブレストセンターとして後輩に引き継ぎたいです。
プライベートの夢はいつまでも健康でいたいことですね、笑。あとは、歴史や文学を学びにもう一度大学に入り直したいですね。歴史の研究が好きです。古代ローマ、三国志、史記など、世界史と日本史全部好きです。今私がやっていることと全然違うことを研究してみたいです。
─ 林田先生のお好きな言葉を教えていただけますでしょうか?
林田さん: 人事を尽くして、天命を待つ!
※聞き手はThe Voice 編集長シャオシャオ
※ゲストの肩書きや記事の内容は全て取材当時(2024年9月)のものである。
編集後記
世の中の女性の健康と幸せのために惜しみなく情熱とエネルギーを注ぐ林田先生を心から尊敬しています!
今回のインタビューで等身大の林田先生を見ることができました。林田先生は真面目で責任感と使命感に溢れており、日々乳がん治療に一途に取り組んでいらっしゃいます。急増している乳がん患者に対し、乳腺専門医が圧倒的に少ない中、林田先生は豊富な知識と鍛え抜いた技術をフル活用して日々奮闘していらっしゃいます。
乳がん治療のトップランナーでいらっしゃいます林田先生の力強いリーダーシップのもと、近い将来慶應病院ブレストセンターが日本有数のブレストセンターとなり、次の世代にバトンを渡すことがきっとできると確信しています。また、林田先生が育てられた女性医師が将来的に大きな病院のブレストセンター長に就任できるかもしれないと思うと、気持ちがとてもわくわくします!
外科医として過ごしてきた26年間のプロフェッショナル人生で最もやり甲斐と充足感を感じた瞬間は、患者さんにねぎらいの言葉をかけられた時、乳がんを根治できて良かったと言われた時だと林田先生はおっしゃっています。そして、心の支えと原動力は、患者さんと社会に対する責任感、純粋に乳がん専門医が一人減ると社会損失になるという思いだとおっしゃっています。林田先生は女性にとって本当に頼りになる素晴らしい先生だと感じました!
乳がん治療の未来について、林田先生は外科手術がなくなり、薬物治療で治す時代が来るとおっしゃっています。これはひとえに林田先生をはじめとする乳がん治療の最前線を走る専門医たちが日々努力を積み重ね、叡智を結集した結果だと思っています。
林田先生、どうもありがとうございました!
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The Voice編集部 thevoicetmc@gmail.com