東京三田倶楽部(Tokyo Mita Club)

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2024年9月 田村 能里子さん
(壁画家)

喜びと楽しみと嬉しさのために

田村能里子さん

 田村先生の壁画との出会い、そして壁画の制作にご興味を持ったきっかけを教えていただけますでしょうか?

田村さん: 私は20代の頃に4年間インドに滞在しました。インドの奥の方にタール砂漠がありまして、そこに壁画で埋め尽くされた町があると一冊の本で知りましたので、ぜひ自分の目で確かめたいと思って、列車と車を乗り継いで行きました。実際に行って見ると、その壁画が町中に埋め尽くされていたのです。昔のインドの大金持ちが何とかして砂しかないこの砂漠を賑わった空間にしたいと思って、絵師を呼んで、門や壁や台所や天井や寝室などあらゆる所を絵だらけにして、日本人からすればとても耐えられないかもしれないですが、現地人からすればとてもカラフルで豪華な空間でした。駱駝や花びらなど色々あって、とてもうまく描けていた絵だと思います。物は何もないので、絵で描くしかないという感じですね。そういう街づくりをしたわけです。これが私は壁画との最初の出会いでした。その時に、一生に一度でも良いから日本で壁画を描きたいなと思って、やれそうな気分でわくわくしていました。

それからしばらく経った後、文化庁の海外留学の制度があり、世界中のどの国に行って留学しても良い制度です。その当時この留学制度を使って中国に行った人はまだ誰もいないそうです。関係者は色々と手筈を整えてくださったおかげで、私は中国へ留学に行くことができました。中国にいる間に西安にある日中合弁ホテルのロビーに長さ60メートル(各15メートル×4辺、縦2メートル)の壁画を描くチャンスをいただきました。描く前に中国の歴史の先生から唐の時代のことをたくさん勉強し、本物と同じ大きさの素描を描いて先生に見せ、現場に1年半かけて制作していました。ずっと1人で描いていました。コロナの前は何度か私の描いた西安のホテルの壁画を見に行くツアーをやっていました。たくさんの日本人を連れて行きましたよ、笑。

左が田村さん、右が編集長

  「私の作品はすべて我が子のような存在です」と田村先生はおっしゃっています。今まで制作されたすべての作品の中で最もお好きな作品、あるいは最も印象に残った作品はどれでしょうか?

田村さん: 私は壁画だけでなく、油絵も描いていますので、作品の数もとても多くなっています。これだけたくさんの「子供」を産むと、最初の絵と今の絵と全く様子が違います。ですから、我が子の中でどれが一番好きと問われると、答えられませんね。

壁画だけでも60作以上ありますが、全部現場に行って描いてきました。1年に1つ〜2つの作品を描いたら、もう時間がないとなってしまうわけです。その間に油絵も同時に描きますので、だんだん油絵の顔付きも様子も変わっていきます。壁画はアクリル絵具を使って与えられた場所で描くので、病院だったり、競馬場だったり、主要駅のコンコースだったり、レストランだったりします。与えられた場所に合わせると言いますか、その場所を一層豊かに輝き、見る人が喜ぶような壁画を描くように心がけています。

 田村先生は1969年から1973年までの4年間インドにご滞在されました。日本へ帰国後もインドを度々再訪されたと伺っています。インド滞在中にどんなインスピレーションを得られましたでしょうか?そして、アメーバ精神のようなものをインドで学ばれたと田村先生はおっしゃっています。具体的に教えていただけますでしょうか?

田村能里子さん

田村さん: 25歳の時に初めてインドに行きました。生きるというのは、無様なことも含めて、こういうことかと見せつけられて、コツコツ頑張らなくてはいけないなという精神を学びました。けれども、具体的に教えてくれる人がいるわけではありませんし、自分で感じ取って、積み重ねていった結果、かなり時間が経ってから、こうだと思うこともありますが、あまり答えになっていないかもしれませんね、笑。

  田村先生は1986年に文化庁芸術家在外研修員として中国北京にご留学されました。その間、古都西安の日中合弁ホテル唐華賓館で長さ60メートルの壁に日中友好の象徴とされる巨大な壁画「二都花宴図」を1年半かけて描かれました。西安の夏は40度、冬は零下10度にもなりますので、壁画の制作に大変苦労をされたと存じます。特に印象的だったエピソードがありましたら、教えていただけますでしょうか?

田村さん: エピソードはいっぱいあります。室外で描いていたので、よほど寒かったのか、画面に筆につけた絵具を載せようとすると、絵具が固まってしまって、ぱらぱらと地面に落ちてしまって、暫くの間は絵が描けなかったのです。普通はアトリエで絵を描きますので、こういう体験は人生で初めてでしたね。

それから、現地の中国の方々が水餃子と焼き芋などを色々持ってきてくれたり、暖かい気持ちで接してくれました。

西安の壁画は私にとって思い出深い第一作です。とても良い経験させていただいたと思います。ホテルの建物ができ上がる前に描いたので、まだ床も天井もできていませんし、雪が降ってくる時もありましたし、冷暖房ももちろんまだ備わっていませんでしたので、大変な現場でした。

田村能里子さん、1987-1988年頃、中国西安で自身初の壁画制作中
田村能里子さん、1987-1988年頃、中国西安で全長60メートルの壁画(各辺長さ15メートル×4辺、高さ2メートル)を制作中

  田村先生は1995年から3年間タイにご滞在されました。タイでどんなインスピレーションを得られたかを教えていただけますでしょうか?

田村さん: 私はアジアの国々が大好きですから、インドと中国の次にタイに滞在していました。タイは仏教の国ですから、面白いですよ。とても素敵なタイ人のモデルさんに出会いました。私はインドや中国に行って、デッサンしたり、油絵を描いたりして、自分なりに積み重ねてきたものがありますね。私は人の形を描くのが好きで、ずっと追いかけてきました。例えば、インドの地に生きる人々の逞しい手足や目の力や鋭い視線が面白いなと思って、自分の物にしたいという思いで追いかけてきました。

今度はタイに行きましたら、たおやかさ、豊かさ、セクシーさ、優しさを体現するようなモデルさんに恵まれて、このモデルさんに何度もアトリエに来てもらっていました。ところで、同じ時期に日本でも壁画の仕事がありますので、日本とタイを行き来していました。例えば、帰国の合間に横浜のコンサートホールで幅30メートルの壁画の仕事もしていたので、とても忙しくしていました。

  田村先生が描かれた絵で一番鮮烈で印象に残ると言われている色は赤です。「タムラレッド」と称されるこの赤ですが、どのようにして生まれ、田村先生のテーマカラーになりましたでしょうか?そして、田村先生はこのテーマカラーの赤を通じてどんなことを表現したいでしょうか?

田村さん: タムラレッドは段々と作り上げてきたものですから、タムラカラーと言われるほど赤が定着したということでしょうね。赤を選んだ理由は特になく、自分の赤にしてしまったということでしょうね。他の色より使いやすいのかもしれませんね。

考えてみたら、油絵は赤色が多いですね。

  そういえば、今の東京三田倶楽部にある田村先生の壁画は下地が薄緑ですね。

田村さん: やはりレストランですから、お客様がお食事する所です。壁画が主役ではなく、あくまでも引き立てる役割ですからね。何気なく暖かい感じを醸し出せれば良いのかなと思います。控え目の色を使って、お客様の気分が良くなるようにと考えました。

  現在東京三田倶楽部にある壁画が完成してから既に16年の月日が経ちました。絵を拝見しますと、色褪せは全くありません。時々補修やメンテナンスを行なっていらっしゃいますでしょうか?

東京三田倶楽部にある田村能里子さんの壁画

田村さん: アクリル絵具の上にコーティングを施してありますので、色褪せしたり、剥げたりすることがまずありません。ただ、もし汚れたら、柔らかい布で水をつけて軽く拭いたほうがいいですね。ですから、あまり心配することはありません。日本国内の場合は、壁画を補修したりメンテナンスしたりする必要はほとんどありません。そして、壁画は地面に対して垂直ですから、埃がつくことも少ないです。

  「絵描きというのは、先入観を持たずに心を自由に柔軟に」と田村先生はおっしゃっています。絵描きにおいてなぜ柔らかい心が重要なのでしょうか?

田村さん: そうですね。若い頃はただ絵を描きたくて、絵を描いている毎日があれば良いなと単純に思っていました。でも、社会の中で暮らしているわけですから、当然縛りがあります。できる限り絵を描いて生きていく部分だけは伸びやかにしたいなと思っています。

今までの人生をトータルで考えると、運が良かったことがたくさんありました。そして、人との出会いを大事にしてきました。たまたま出会ったチャンスに親身になって話すとか、やってと言われたことに対して気合を入れて一生懸命にやりました。描くという行為は誰にも負けませんが、声をかけてくれた人々や良い時代にも恵まれたと思います。健康維持と同じように、何よりも積み重ねが大切ですね。

  大きな壁画を描くには健康と体力がとても重要だと思いますが、健康な身体作りと体力維持の秘訣を教えていただけますか?そして、もし普段工夫されていることがありましたら、そちらも伺いたいと思います。

田村さん: 私は毎日よく歩きます。近所の大きな公園に行って40分ぐらい毎日歩いています。そして、小さいなものでも良いので、目標を持つことです。目標を心に持ちながら毎日を重ねていきます。コツコツと長く続けていくことですね。自分なりに良い形で長く生きたいですね、笑。大した努力でなくてもコツコツとやることが第一条件です。人間はやはり喜びのために、楽しみのために色々なことにチャレンジしていると思いますね。

そして、食生活で心がけていることについては、我が家ではお野菜をたくさん摂るようにしています。炭水化物を少なめに摂っています。いつも蒸篭2段、3段を積んで、色々な種類の野菜を蒸していきます。基本的には野菜がメインですが、それにもう1つのメインをプラスします。ステーキやしゃぶしゃぶなど手間暇かけずにすぐできるものを選びます。さらに、目でも楽しめるように彩りもよく考えて食材を組み合わせしています。こういう健康的な食生活をしていると、自然と太らない体になるんですね。野菜とお肉のメリハリをつけて食べるように心がけています。

それから、健康維持のために毎日7時間ぐらい寝ています。

田村能里子さんのお好きな言葉です

  田村先生の3回目の和光さんでの個展が9月26日から10月6日までに開催される予定と伺っていますが、どんな作品が展示されるかについて教えていただけますでしょうか?

田村さん: この度は久しぶりに3回目の和光さんでの個展(田村能理子素描展「凛とつややかに」、セイコーハウス銀座6階セイコーハウス銀座ホールにて、9月26日(木)~10月6日(日))が開催されます。今回ははじめて素描中心の展示を予定しています。素描はいつも目の前にある壁面やタブロウといった生画の土台となる大切な「過程」でした。もっともすべての作品は未完成だとすれば、すべてが制作過程といえるのかもしれません。今まで描き貯めてきた「過程」を作品として並べて観ていただくことで、新しい対話が生まれてくるのではないか、そんな思いを込めています。

また、今回の展覧ではこれらの素描を基にして描いた壁画(来年就航予定のクルーズ客船「飛鳥Ⅲ」に設置予定)の全長12メートル作品なおも同時に展示し、壁画に描かれた場面と素描との結びつきを推理していただくよう展覧に工夫を凝らしました。入場無料ですので、ぜひ多くの皆さんに会場に来ていただき、作品を楽しんでいただきたいと思います。

※聞き手はThe Voice 編集長シャオシャオ

※ゲストの肩書きや記事の内容は全て取材当時(2024年7月)のものである。

編集後記

田村さんはオープンかつ自由な心を持ち、日々壁画や本画の制作に情熱を注いでいらっしゃいます。

田村さんはかつて中国やインドやタイに行き、色々な人々に出会い、たくさんのチャンスに恵まれ、その都度感じ取ったものを自分の糧にし、成長や進歩につなげてこられました。私たちも田村さんのご経験を参考に、好奇心を養い、行動力を磨き、人との出会いを大事にし、自己研鑽を積み、命ある限り成長し続けていきたいですね!

やはり喜びと楽しみと嬉しさのために、色々なことにチャレンジすると良いですねと田村さんはおっしゃっています。私たちも心の底からわくわくすることを追いかけて人生を過ごしていきたいですね!

田村さんは今まで65作以上の壁画を描かれました。何メートル、何十メートルにも及ぶ大きな壁画を描くために必要な体力を支えてきたのは、毎日の有酸素運動と蒸し料理を中心とした食生活の積み重ねだそうです。健康維持においても仕事においても同じです。私たちも目標を持って毎日少しずつ積み重ねていきたいと思います。

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