東京三田倶楽部(Tokyo Mita Club)

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2023年11月 寺田 航平さん
(寺田倉庫株式会社代表取締役社長 兼 経済同友会副代表幹事)

アートの街天王洲からわくわくをお届けします

寺田 航平さん

 寺田さんは慶應義塾大学法学部ご卒業ですが、法学部を選ばれた理由をお聞かせいただけますか? また、どのような学生生活を過ごされましたか?

寺田さん: 当時は、確固とした目的があって法学部に進学したのではなく、法学部法律学科が内部進学で文系の最難関だったからです。将来については、まだあまり深く考えていなかったというのが正直なところです。大学生の頃はテニスサークル活動をしていたのですが、一番力を入れたのはインターンシップです。塾高3年次から約5年間、ベンチャー企業で週3回アルバイトをしました。ひたすら仕事をしていたという記憶があります。学校に行く時間よりも遥かに長い時間を企業で過ごしました。

 ご卒業後は三菱商事に約7年間勤務されました。同社を就職先に選んだ理由をお聞かせいただけますか?

寺田さん: 私がアルバイトをしていたベンチャー企業は、マーケティングリサーチとコンサルティングをしている会社で、当時のクライアントの一つはパナソニックでした。当時はソニーのWALKMANが非常に売れていて、パナソニックはヘッドホンステレオで対抗した製品を作っていました。私たちはグループインタビューでヒアリングと分析を行い、商品開発のためのレポートを作っていました。ですので、実を言うと私が就職したかったのは家電メーカーで、その中でも特にソニーだったのです。

ですが、就活のときに広くあまねくOBを訪問している中で、たまたま商社の方と会った時に、商品の開発も面白いけどビジネスモデルそのものを作る方がもっと面白い、という話をしていただく機会がありました。商社は右から左にものを流すのがメインの仕事ですが、商流の中で長期に利益を生み出すためのビジネスモデルを作る仕事でもある、と聞きました。これは非常に面白いなと思い、商社を中心に就職活動し、三菱商事に入社することになりました。

 1999年に家業である寺田倉庫に入社され、その半年後にデータセンター事業を手がける株式会社ビットアイルを起業されました。起業された経緯を教えていただけますか? また、その後、2015年に同業他社からのTOBに応じ、同社を売却した後に実家の寺田倉庫に戻られました。会社売却をご決断された理由を教えていただけますか?

寺田さん: 経緯を説明しますと、私は三菱商事を1999年に退職した後、寺田倉庫に一旦就職しました。ですが、わずか1年後の2000年にインターネットデータセンター業を営むビットアイルを創業しました。ビットアイルは2006年に大証ヘラクレス市場上場を果たし、2013年には東証1部上場を果たしました。その後2015年に業界で世界最大手である米Equinix Inc.のTOBを受け、エクイニクス・ジャパンの取締役COOに就任しました。そして最終的に2019年に家業である寺田倉庫の代表取締役社長に就任して、現在に至ります。

私は最初、父親の仕事を継ぐことが嫌で、三菱商事に骨を埋めるつもりで入社しました。ですが、社会に出て時間が経つと、大企業では責任ある立場で仕事を動かせるようになるまで長い時間がかかることがわかってきました。そんな頃、父親から中小企業は優れた人材が足りずに困っている、と毎週のように話をされていまして、段々と父の話に心が向いていきました。当時、私の中ではベンチャー企業を興す気持ちは全くなかったので、心を決めて3代目を継ぐ覚悟で1999年10月に寺田倉庫に入社しました。でも、心の奥底では、このまま先代から引き継いだレールに乗っかっているだけの人生でいいのか、という思いがありました。今振り返ってみると、自分はそれまで何かでリーダーというものをやったことがなく、何か自信が欲しかったのだと思います。自力で何かをやり遂げたいという気持ちが、どこかにありました。

私が寺田倉庫に入社したちょうどその頃、10社以上の会社から当社が持っている場所でデータセンターを新設する提案をいただきました。それを比較検討していく中で、これは面白いビジネスモデルだな、と思ったのです。インターネットデータセンターというのは、サーバーを何万台も集めて運用する情報配信工場のような施設です。大量の熱を処理する空調設備や瞬間停電対策用の大量のバッテリー、大規模停電に対応するための発電機など、荷重の大きな設備を置く空間と、強固なセキュリティー、そしてサーバーを24時間365日障害から守るためのオペレーションが必要です。

実は小学生の頃の私の趣味はパソコンで、一日中プログラミングに没頭してきた少年時代を過ごしていました。その後大学時代はベンチャー企業の組織を経験して、さらに三菱商事在籍中は、持続的な収益を生むビジネスモデルをずっと考えてきました。ですから、倉庫を使ったデータセンタービジネスを手がける仕事は、今まで私が経験してきた全ての延長線上にあるビジネスモデルだったのです。このビジネスモデルに出会った時、私が人生を賭けて取り組むのはこれしかないと思って、雷に打たれたような気持ちになりました。そこで、入社したばかりの寺田倉庫を退職して新しい会社を創業しました。

ビットアイルを創業して最初の3年間は、苦労の連続でした。データセンター事業は企業の心臓部を預かる仕事ですから、競合は富士通やIBM、NTTなど大手企業ばかりでした。最初の頃はどれだけ営業しても信用を得られず、大変苦労しました。一方、当時はモバイルインターネットの幕開けで、数多くのベンチャー企業が台頭してきたタイミングでした。この流れを受けベンチャー企業に営業を特化したところ、顧客の数がどんどん伸びていきました。黎明期のスタートアップが急速に成長する流れに乗り、ビットアイルを大きく成長させることができました。まさに顧客と共存共栄で成長を続け、2006年にはJASDAQ、2013年に東証一部に上場しました。大手企業を顧客に抱えるようになり、売上高は180億円、大手がひしめく業界で8位まで上り詰めました。

そんな時、ビットアイルにTOBがかかりました。この提案は一般的なTOBに比べ非常に条件のいい内容でした。タイミングとしては、ちょうどクラウドのサーバーサービスが成長してきた時代です。提案をしてきたのは米国にある世界最大手の企業で、グローバルIT企業を主要顧客としており、この時代の流れに乗って成長をしていました。

私には反対意見を投じ、独自で伸ばす選択肢もありました。経営者ですから当然、株主、顧客、従業員の3者のことを考えます。まず株主には株価が上がりますから、問題がある訳がありません。顧客にとっても、世界中で幅広いサービスを受けられるメリットがあります。さらに、世界最大手の会社ですから、従業員にとっても確実に待遇が良くなります。TOBの提案は海外企業で顧客が被らないため、リストラの心配もありませんでした。従って、総合的にこのTOBのオファーを受けないというのは理論的に考えにくい、と最終的に結論しました。唯一それを邪魔するのは、自分が社長として続けたいというプライドだけでしたので、私は売却を決断したわけです。

 寺田倉庫ではアートやワイン、貴重品、映像メディアなどの保管事業をされていますが、ワイン、アート作品については1点ずつ撮影してデジタル化し、お客様のスマートフォンで閲覧できるようにして、コレクションとして楽しみつつ、現在の相場価格もわかるといった付加価値の高いサービスを提供されていると伺っています。1つずつ撮影するとなると、膨大な人員と手間がかかると想像しますが、その点はいかがお考えでしょうか?

寺田さん: 寺田倉庫では、お預かりしているものだけでなく、お預かりしているものの「データ」も大切な価値であると考えています。美術品については、専門スタッフが平面作品、立体作品など作品の特徴に合わせて専用スタジオで撮影し、作品サイズ、作品カテゴリなどの情報を登録します。ワインについては、お預かりしたワインを専門スタッフが1本ずつ撮影して、銘柄・生産者・産地・ヴィンテージなどの情報入力を行うため、当社倉庫にワインを送るだけでワインリストが完成します。お客様は預けているものの情報をPCやスマホで閲覧できることで、資産やコレクションの管理がしやすくなります。

手間のかかる作業ともいえますが、専門的な知識や環境だからこそできるサービスです。当社とすればお預かりする資産をデータ化することで、お客様の資産の価値を増やすお手伝いをする一助になればと思い、デジタル化に積極的に取り組んでいます。

 ワインやアートはとてもデリケートなもので、長期保管に適した温度や湿度をどのように設定・管理されているのでしょうか? 特に、ここ最近気候変動が進んだこともあり、数十年前に比べ、日本の夏の気温や湿度がかなり高くなったと思いますが、お客様から貴重品を預かる御社にとってどんな影響があるとお考えでしょうか?

寺田さん: 美術品は温度20℃、湿度50%、ワインは温度14℃±1℃、湿度70%±10%という環境で保管しています。冷暖房費などのコストはかかりますが、お客様から預かっている大切な美術品やワインです。気候変動により影響が出ないよう、適切に温度・湿度の管理をしており、益々そのニーズは膨らんでいくものと思います。

 寺田倉庫は、拠点である東京・天王洲の街づくりも積極的に手がけていらっしゃいます。天王洲を世界一のアートシティにすべく、様々な大手企業とタイアップで大型イベントの協賛を行い、WHAT MUSEUMや WHAT CAFE、TERRADA ART COMPLEXなど、アートにまつわる様々な施設を新設することで、街の魅力を高めています。街を訪れる人が増加し、まさにアートを切り口に、天王洲の街を活性化しています。このアイデアはどのようにして生まれ、また、実際に具現化されているのでしょうか?

寺田さん: 成功するビジネスモデルにおいて大切なことは、その会社が持っている力を最大限に活用することです。当社でいえば、祖業である保管事業とスペースリノベーション、そして何よりもその場所でコトを起こす企画力を掛け算にすることです。天王洲の寺田倉庫周辺の雰囲気は、私の父がつくって来たものです。倉庫という空間が、スタジオやレストランや素晴らしいデザインのオフィスへと変化し、また物流倉庫から個人や企業の資産を預かる倉庫へと変貌を遂げて来ました。前社長の中野はその環境の上に様々なアップグレードを施してきました。PIGMENT TOKYOという画材ショップや、TERRADA ART COPLEXの原型を作りました。

そして、これら全てをうまく掛け算するのが私の役割だと思っています。これらの成長を支えているのは、今大きく伸びつつある現代アート市場です。どれだけ掛け算を行うにしても、伸びていく市場で勝負してゆかなければあまり面白くありません。

日本の現代アートの市場規模は大体500億円ほどですが、世界を見渡すと、アメリカは1兆5000億円位、中国は5000億円位、韓国は700億円位の市場規模があると言われています。それに比べると、日本はまだ規模が小さいです。それには、いくつか理由があると思います。世界と比べると突出した富裕層が少なく、住環境的に家が狭いというのも大きな障壁です。また、アートは鑑賞するものというイメージで、まだまだ購入する文化になっていないのが実情です。税務的にも欧米とは大きく水を開けられていて、寄付税制や公的鑑定制度など、先進国の殆どの国にある制度が進んでいないという問題もあります。

一方、これらの環境を整えていくことができれば、日本のアート市場は2000億円ぐらいまで伸ばせるのでは、と個人的に考えています。そのビジョンを実現させるためにも、天王洲に集積させてきたアート施設は大きな役割を果たすはずです。コロナ禍ではありましたが、この3年間でWHAT MUSEUM、WHAT CAFE、TERRADA ART COMPLEXの3施設を増強しました。今後は、天王洲をもっと国際的なアートシティへと発展させていきたいです。

 私は先週WHAT MUSEUM、WHAT CAFE、TERRADA ART COMPLEXを訪れました。20代の若者がとても多い印象を受けました。広々としたWHAT CAFEでランチを食べながらアートの数々を楽しむことができ、とても斬新で心躍る時間を過ごしました。普段アートに接する機会がない人でも、何気なく個性豊かなアート作品に触れ、色彩豊かな絵、立体感のある作品、緻密な建築模型を眺めていくうちに、好きなアートが見つかり、購入し、そのアーティストのファンになっていくのではないかと想像します。このように、アートを愛する人口を増やして、人々の生活をより豊かなものにしていくことは、素晴らしいアートのエコシステムではないかなと感じています。これも寺田さんが当初から想定していたことでしょうか?

寺田さん: そうですね、そのように想定して取り組んでいます。WHAT MUSEUMでは当社がお預かりしているコレクターの素晴らしいアート作品を観ていただき、次にWHAT CAFEで若手のアーティスト作品を購入する体験をしてもらう。アートにより深い興味を持っていただいた方はTERRADA ART COMPLEXのギャラリーにも足を運ぶようになり、次第に本格的なコレクターへとなっていく、という流れをイメージしています。

WHAT CAFEのお客様の中には、初めてアート作品を購入する方も少なくありません。アートは暮らしに彩りを与えてくれますので、多くの方がより豊かなライフスタイルを送ってくれるといいなと思っています。また、こうした購入体験が増えることは、アーティストの支援にもつながり、アート市場全体を活性化させることにもつながっていきます。そのようなエコシステムを作っていきたいと思い、アートの事業と街づくりを行ってきました。

そして、アートファンはもちろん、より幅広いお客様に天王洲へ足を運んでいただくために、倉庫を活用したイベントスペースに大型イベントを誘致しています。イベントがきっかけで天王洲に訪れたお客様を、アートの世界へと誘っていくという流れもイメージしています。

  若い方々に、アートを知っていただいて、育てていく、そのような感じですね。

寺田さん: そうですね。今後さらに力を入れたいと考えているのが、デジタルによるアート体験の革新です。アートはロングテールのビジネスです。アマゾンが本のビジネスで成功したように、アートの世界でもロングテールをマッチングさせてあげることによって、アート作品との出会いを増やし、結果としてアーティストが世界に羽ばたける流れを作っていきたいです。また、ユーザーの鑑賞眼を育てる展開もアイデアとして持っています。こういったデジタルの展開も、アート市場のエコシステムを拡充するために必要な要素ではと思っています。

  TERRADA ART AWARDという若手アーティストを発掘・支援する取り組みも開始しましたが、そこにはどんな思いが込められていますか?

寺田さん: TERRADA ART AWARDは、次世代の世界に通ずる若手アーティストの育成支援を目的とした現代アートアウォードです。審査は作品内容、展示プランの精査を経て、ファイナリストを選出しています。ファイナリストには制作費の支援としての賞金、およびファイナリスト展としての展示機会を提供しています。倉庫空間を活用したファイナリスト展での展示機会は、まさに倉庫会社ならではアウォードです。

現在進行中のTERRADA ART AWARD 2023では、2024年1月10日(水)~2024年1月28日(日)にファイナリスト展を寺田倉庫で開催予定です。

このアウォードを通して、アート業界を牽引する可能性を秘めたファイナリストの皆さんの成長機会につながり、大きく羽ばたいていく一助になればと考えています。ファイナリスト展には、是非多くの人に足を運んでいただきたいです。

寺田航平さん(左から2人目)と編集スタッフ

  天王洲の運河沿いに停泊する4隻の趣向を凝らした水上アートホテル「PETALS TOKYO」では、水上での滞在が体験できますが、ご利用されるお客様にどんなことを感じてほしいでしょうか?

寺田さん: 寺田倉庫は自治体、住民、周辺企業と協力をして、天王洲を「水辺とアートの街」として活性化する取り組みをしてきました。天王洲の運河沿いに停泊する4隻の色とりどりの小舟からなるPETALS TOKYOは、宿泊体験を提供する多目的水上施設であり、水辺エリアのさらなる活性化を目的として誕生しました。ご利用のお客様には、古くから運河の街として発展したアムステルダムの「ハウスボート」のように、都会の喧騒から離れ、水辺の自然を楽しんでいただきたいです。

  寺田さんは天王洲の街づくりのためにかなり大きな自己資金を投じたとある記事で読んだことがありますが、今後この地でどのような計画を考えていらっしゃいますか? また、天王洲という街にどのような要素をさらにプラスしていきたいとお考えでしょうか?

寺田さん: ボンドストリートやボードウォークなど寺田倉庫周辺の街づくりは、私の前の代までに大きな投資をしています。これは経済的な投資だけでなく、行政や周辺企業、住民の皆さんと協力しながら時間をかけてつくってきたものです。こうした歴史があって出来上がったものですので、これには大変感謝をしています。そうした基本的な土台を生かして、私は街の魅力を高めて、より多くの人を呼び込む仕掛けを増やしていくことに力を注いでいます。

街の活性化というのは、その場所の土と風によって方法が違います。その街にとって一番必要な要素を吹き込んであげないと、街は伸びていきません。天王洲は1980年代にオフィスビルが大規模に開発され、平日の昼間人口は5万人ほどに増えましたが、夜間や休日は閑散とした街でした。飲食やサービス業も育たず、アンバランスだったのです。

ですので、そのバランスを整えて、持続的な街の賑わいを創出していく仕組みを考えました。街を訪れるきっかけを創出すれば、レストランも賑わい、夜間や土日も人が集まるようになります。現在では当社と周辺のレストランなどを合わると、年間100万人もの方たちが訪れる街になってくれたことは本当に嬉しいです。

今後は新たなプロジェクトに取り組む予定です。これまでの経験を踏まえ、この街をさらに活性化させるプロジェクトを計画しています。もちろんアートに関する活動も継続して行いながら、天王洲をアートだけでなく、別の側面も持つ街として位置付け、クリエイティブなコミュニティが育つ街へと成長させていきたいです。この取り組みが成功すれば、街全体のさらなる活性化に寄与するはずです。

  寺田倉庫はこれから上場を考えていますか?

寺田さん: もし大きな資金調達を必要とするビジネスモデルが今後出てくれば、上場を通じて資金調達することは一つの手段ですが、今私は寺田倉庫の上場は考えていないですね。

  倉庫業から街づくりまで非常にスケールの大きいイメージがありますが、この一連の事業を遂行するために、想像力や創造力、判断力、好奇心など様々な力が必要になると思います。寺田さんご自身のプロフェッショナル人生を振り返ったときに、過去のどんなご経験や学びが今のアートを通じた街づくりに役立っているとお考えでしょうか?

寺田さん: 私の創造の原点がどこにあるかと聞かれたら、起業家でありながら、個人投資家として多くのベンチャー企業の支援をしてきた経験にあります。私は2005年ぐらいから幅広いベンチャー企業に投資をして、アドバイザーもしています。徹底的なハンズオンで起業家育成に時間を使ってきましたが、それは私自身の幅を広げるという意味でも役立っています。次から次へ多くのビジネスモデルを聞いて、適切なアドバイスをしていかなければならないので、これをひたすら繰り返していく中で、自分の中の幅を無限大に広げていったと思います。

私は多くの人に賞賛される人生より、自分にとって近くにいる親しい人たちを全力でサポートし、その人たちが世界を変えていく方が、自分の人生に合っていると思っています。今後も寺田倉庫を大きく成長させていくことを一生懸命やりながら、ライフワークでもある起業家サポートを通じて日本を変えることを継続してやっていきたいです。

  今年の4月から寺田さんは経済同友会副代表幹事にご就任されました。経済同友会の副代表幹事としてのお仕事の内容を教えていただけますか? また、このお仕事を通して実現されたいことは何でしょうか?

寺田さん: 経済同友会は三大経済団体の一つですが、これまで4年間の委員長職を通じて、国や行政に対してデジタル領域を中心に様々な提言を経験してきました。現在は代表幹事の新浪さんの下で副代表幹事を担っています。

デジタル活用は大きな課題ですが、単なるコストダウンではなく、自分たちの強みをDXでいかに伸ばすかが非常に重要です。今後10年間は、日本が本当に変わる最後のチャンスと言えるかもしれません。たとえば、ChatGPTなどの生成系AIは日本企業が生産性を上げるチャンスです。しかし一番怖いのは、これまで国内のビジネスを守ってきた言葉の壁が全部崩れ、日本語という壁で守られた業種が全部海外に駆逐されるリスクです。ですから、ピンチでもあるけれども、これをチャンスにしていかねばなりません。

こうした中、私自身が経済同友会副代表幹事として、国や社会をよりよく変えるお手伝いができるようであれば、非常に光栄に思います。特に今年からは中堅・中小企業活性化委員会が復活しました。過去10年のデータをみると、実は中堅企業は一番元気なのです。地域経済を支えている中堅中小企業を伸ばしていくためのサポートを副代表幹事として取り組んでいく予定です。

  寺田さんの夢を教えていただけますか?

寺田さん: ライフワークである起業家育成と、経済同友会での活動と貢献が私の夢ですね。

  寺田さんのご趣味は何でしょうか?

寺田さん: 趣味はテニスです。テニスは週1回ボロボロになるまでやっていますね。カラオケもそうですね。テニスをしていると頭の中が真っ白になり、何も考えずに没頭できるので、私にとって一番幸せな時間かもしれません。笑

  テニスは1回何時間プレイしますか?

寺田さん: 1回2時間で週1回ですね。ダブルスでやります。本当に上手いメンバーの皆さんが集まって楽しんでいますね。

※聞き手はThe Voice 編集長シャオシャオ

※ゲストの肩書きや記事の内容は全て取材当時(2023年8月)のものである。

編集後記

寺田さんはレールに乗った人生ではなく、自らの力で新しいビジネスを切り拓くことを選択し、見事に大きな成功を収めました。そこには常識や伝統にとらわれない発想力、決断力、実行力、トレンドを見通す力、先見の明がありました。

伝統ある倉庫業に新しい風を吹き込み、柔軟な発想や斬新なアイデアによって、イノベーションを次々と実現させてきました。

寺田さんの個人投資家として長年にわたり起業家育成に尽力された豊富なご経験が今の天王洲の街づくりに大いに役立っているようです。私たちも自分の人生と仕事だけでなく、常に心をオープンにして、旺盛な好奇心を養って、世の中のトレンドや面白いことにも関心と興味を持ち、人生の幅をどんどん広げていきましょう!

寺田さんは類まれなる想像力と創造力を遺憾なく発揮し、アートを通じた天王洲の街づくりを力強くリードしてきました。未来の天王洲のさらなる進化と変貌を楽しみにしています! さらに人々のわくわくを掻き立てるような、心躍るような仕掛けやイノベーションから目が離せません!

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