東京三田倶楽部(Tokyo Mita Club)

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2023年6月 田中 秀夫さん
(株式会社ADワークスグループ 代表取締役社長CEO)

人間万事塞翁が馬

田中秀夫さん

 今日はいろいろお話を伺っていきます。まずはじめに、田中さんが慶應義塾大学商学部を卒業されて、不動産業界に進まれた理由を教えていただけますか?

田中さん: 当時は「何か不動産業界で成し遂げてやろう」というようなものではなく、単純な理由です。私の高校時代の同級生のお兄さんが優秀な方で、彼が慶應を卒業後、不動産会社に入社しました。私は彼のことをとても尊敬していたので、私も不動産業界に興味を抱き、就職活動では商社もしくは不動産会社のどちらかに進もうと考えていました。結果として最初に内定をいただいた西武不動産㈱に入社しました。宅建の資格も大学生の時に取りましたね。

 18年間勤めていた会社を退職されてご自身の不動産鑑定事務所を立ち上げた理由は何でしょうか?また、その当時成功する自信と確信はあったのでしょうか?

田中さん: まず退職した理由は、当時の西武流通グループの方向性が私の考えとずれてきていると感じ始めたからです。

そのとき、私は不動産鑑定士の資格を持っていたので、とりあえず食べていける自信はありました。それで退職の話を家族に話をしたら、それは仕方ないと理解をしてもらい、不動産鑑定事務所を始めました。

開業して1年ほど経った時です。前職の上司だった方が、西武流通グループ系の㈱ハウスポート西洋(現㈱みずほ不動産販売)という会社の社長を務めていたのですが、私のところにやってきて、「不動産の売買仲介を手伝って欲しい」と言われました。まだ不動産鑑定事務所を始めたばかりだったので一度お断りしたら、鑑定事務所の収入は完全に個人で取っていい、ダブルインカムOKということでした。今でいう兼業ですね。

それで、鑑定業を行いながらも、ハウスポート西洋に入社し、担当部長として不動産の売買仲介システムを作ることになりました。不動産鑑定という分野では必ず成功する自信と確信はありましたが、売買仲介は、たくさんの方と関わらなければならず、また当時はその会社にもノウハウがまだなかったので、非常に大変な思いをしましたね。

 さらに2年後には100年以上の歴史がある㈱青木染工場を受け継ぎ、不動産事業者として再スタートさせた狙いはどこにあるのでしょうか?

田中さん: 青木染工場の先代社長の一人息子の方が、私と同じ慶應のゼミで親友だったのですが、慶應を卒業後、早くして亡くなられていました。

そんな中、私が不動産鑑定事務所を開業して、先代社長に挨拶に行った際に、不動産事業を手伝ってくれないかと言われました。青木染工場はもともと染物事業を営んでいて、錦糸町に大きな工場があったり、福島に大きな工場を造ったりしていましたが、その頃には染物事業をやめていて、不動産事業を始めていたので、私に声がかかりました。

先代社長は一人息子を亡くされていたこともあり、息子の親友だった私のことを大変気に入ってくれていて、養子に入ってほしいという話にもなるぐらいでしたので、一生懸命手伝いましたね。

しかし最後になってやはり会社を閉めるということになり、先代社長から「よかったら会社を継いでくれないか」と言われたのです。

面倒をみてもらっていたという恩義もあったのでこのお話を受けることにしました。一見すると奇異な話ですよね。養子に入っているなら違和感ないでしょうけど、全くの第三者ですよ。私は先代社長の息子さんの代わりのような気持ちでした。

当時は会社にお金がなかったので、ほとんどゼロの会社を受け継いだようなものでしたね。私の不動産鑑定士としての知見も活かしながら、銀座の交詢社ビルの事務所で、先代社長と私と事務員の3人で再スタートしました。

  1995年に青木染工場の歴史を受け継いで、エー・ディー・ワークスを立ち上げてから30年近く経ち、売上高270億円・社員220名以上にまで成長させてきました。こうした成長を支えた人材の確保および人材の活用について伺います。

採用する際には、人材のどこを一番重要視していますか?

また、人材が持っている能力を御社で最大限に発揮できるように経営者として心がけていることはありますか?

田中さん: 最初の話をしますと、元々は3人しかいない会社ですよ。社員を増やすために募集をしても、誰も来なかったのです。それならばと、少し給料を高くしたら、何人か応募してくれたのですが、普通の不動産会社の会社員として採用するには考えにくい方々ばかり集まってしまって困りました。

やみくもに募集してもダメで、優秀な人材をどうやって採用するかということを必死に考えました。そこで、私は不動産鑑定士の試験についてよく理解していたので、その知識を活かしたのです。

不動産鑑定士になるには2年間の実務研修が必要なのですが、それをさせてくれる会社はなかなかありませんでした。一方で受け入れてくれる個人鑑定事務所だと月給10万円ぐらいでした。そこに目を付けて、私の事務所は実務研修を目的にされる方に対して一般的な月給を支払うことにしました。これはかなり効果がありましたね。

採用するときに重視していた考えは、人を採用するからには、入社してくれた方も会社も一緒に成長したいということです。そのためにも、上場したいという思いがずっとありました。そうした私の考え方に共感してくれた応募者がかなりいたので、募集をするたびに、少しずつですが社員も増えていきました。私が最初にいた西武流通グループの社員の中で私を慕ってくれていた人たちも何名か入社してくれましたね。

今でこそ上場しているので、募集すれば一定数の応募があります。しかし採用で大事にする考えは変わってないです。やはり大事なのは入社してからですから、本人が成長する気で入ってくるかどうかが重要だと考えています。会社とともに成長していきたいという人に入社してもらいたいですね。

私は私で、社員の成長意欲に応えられる会社にしていく義務があると思いますし、それが会社の成長につながると信じています。

  田中さんの当初の想いが実現し、現在、御社は東証プライムに上場していますが、もともと上場を目指した理由を詳しく教えていただけますでしょうか?

田中さん: 当社の前身であるエー・ディー・ワークスは2007年10月にJASDAQ、2015年4月に東証二部、同じく10月に東証一部と進んできました。そして2020年4月にホールディングス体制への移行に伴って、持株会社となる当社ADワークスグループを設立して、テクニカル上場という手法を用いて東証一部に上場し、既存のエー・ディー・ワークスは主要事業をそのまま継承する形にしました。その後東証の市場再編に際してプライム市場を選択し、現在に至ります。

もともと上場を目指した目的は2つありました。1つ目は、上場を目指す過程における会社の成長と、そこに向けた役職員の一体感の醸成です。2つ目は、実際に上場を達成することによる社会的信用の獲得と、従業員のモチベーションの向上です。結果としてこれらの目的は達成できたと思っています。

特に社会的な信用というメリットは、上場後も当社の成長を大きく後押ししました。

ネームバリューも実績もない中小企業であった当社が、群雄割拠の不動産マーケットの中で成長してこられたのは、もちろん懸命に重ねてきた創意工夫や変化への適応もありますが、やはり「東証一部上場」の企業であるということの信用力が大きいと感じています。お客様、お取引先様、金融機関の皆様、あるいは採用対象者、その他、各種アドバイザリーから認めていただいているという価値は絶大ですね。

  田中さんは18年間の会社員を経た後、起業されて32年経ちますが、ご自身のこれまでの50年間にわたるプロフェショナル人生をどのように振り返りますか?

田中さん: ほとんどの人にとって一番大きな財産は不動産です。そこに携われる仕事を半世紀も続けてこられたことは誇らしく思っています。

また、私は若い頃に一生懸命勉強して不動産鑑定士の資格を取りました。振り返れば、全てがそこから始まったわけです。

なので、私は社員によくこう言っています。若い頃はとにかく狭く深くやりなさい、深さが一定まで達したときを待って広げた方がいい、と。

  ここまでのお話しで、田中さんのこれまでの人生は、新たな可能性に積極的に飛び込んできたという印象を持ちましたが、幾つになっても旺盛な好奇心を保つ秘訣はなんでしょうか?

田中さん: 私は頭の中で考えるよりはまず行動に移すタイプです。何でも体験主義なのかもしれないですね。

プライベートな話ですが、私は旅行が趣味でよく妻と行きます。その根底には世界中にある、自分の知らないことに対する憧れや好奇心がある気がしますし、気になったらすぐ行動に移したくなります。

でも、妻は私と逆です、とても慎重なタイプなのです。ヨーロッパ諸国は妻と一緒にほとんど行ったので、最後はエジプトに行ってカイロ美術館を見に行きたいと思っているのですが、妻に反対されています。アラブ諸国はずっと紛争続きで危険だから、と。そういう意味では、何事も私一人で突っ走ろうとすると、家族が引き戻してくれたりします。

  仕事とプライベートのバランスについてどのように考えていますか?

田中さんの趣味といえば、何でしょうか?

また、上場企業の経営トップとして常にストレスに晒されていると思いますが、どのように対処していますか?

田中さん: 私は実質的創業者であり、現社長でもあるので、どうしても仕事とプライベートを切り離すことはできません。そういう意味では、日々仕事のこと、会社のこと、従業員のことを考えながら生活をしている気がしますが、ストレスとは思っていませんよ。

とはいえ、趣味のゴルフや美術鑑賞、あとは何より孫世代まで含めた3世帯で暮らす家族との団らんは、仕事から少しだけ離れるいい気分転換になっていますね。

右から2人目が田中秀夫さん、左から2人目が編集長シャオシャオ

  常に会社のことを考えているとのことですが、どんな会社を目指して経営されていますか?

また、ADワークスグループを通じて日本社会にどのような貢献をしていきたいでしょうか?

田中さん: やっぱり、社会から必要とされる会社になりたいですし、ならなければ持続的な成長は見込めないと思います。社会も会社もそれぞれが豊かになるために何ができるかを考えていきたいです。

そのために、当社はマテリアリティという経営課題を4つ定めました。

詳しくはぜひ当社のHPを見てもらいたいのですが、不動産事業を通じた社会課題の解決や、従業員の働きがい・働きやすさの追求、お客様や取引先様の安心と安全の確保等を謳っています。

  社会に目を向けた活動として、御社が東京藝術大学と取り組まれている「ADワークスグループ『日本画』賞」について伺います。先日初回の受賞者が発表されたと思います。どのような経緯でこうした賞を創設されましたか?また、「日本画」というジャンルを選んだ狙いはどこにありますか?

田中さん: 日本は資本主義社会なので、企業にとってお金儲けも大事ですが、それだけでは良くないと思っていて、やっぱり社会貢献の視点も重要だと考えています。個人的に絵画が好きなこともあって、芸術分野で何か貢献できることはないかと考えていました。ちょうど知り合いに東京藝術大学の教授がいて、この話をしたら、卒業してから活動が軌道に乗るまでの間(卒業して39歳ぐらいまでの間)をサポートしてほしいと言われまして、協働して賞を創るに至りました。

なぜ「日本画」を選んだかと言いますと、当社がもともと染物から始まった会社で、日本文化とも深く関係していたので、縁を感じたからです。

実は、当社は芸術家以外に、スポーツ選手のサポートも行っていまして、現在パリオリンピックを目指す競歩の選手をサポートしています。単にスポンサーのような感じではなく、彼は社員として働きながら、選手としてトレーニングを積んでいます。普通に午前中に出勤して、業務を行った後、練習に行く感じですね。それもあって選手と社員の距離も近く、彼のサポートは有志の従業員が行っています。日々の練習や大会への帯同などがメインです。

サポートに直接携わっていない従業員も選手の頑張っている姿を見て、前向きになっていると感じますし、社会的にも意義があると思っています。

  従業員の働きがいや働きやすさという観点では、このたび御社は健康経営優良法人2023に選ばれましたが、具体的にどんな健康増進施策に取り組んでいましたか?

田中さん: 当社は人事部門と若手社員が主導となり、健康推進委員会として主体的に活動をしてくれています。

例えば、複数回のウオーキングイベントやスマートフォンの歩数管理を活用した社内イベントを開催し、従業員が楽しみながら健康増進できるよう取り組んでいます。他にも食事やヘルスリテラシーに関する研修などの座学も実施してくれました。

私としてはこうした活動を通じて、仕事をしていると忘れがちな「健康」の意識をもってもらいたいと考えています。いつの時代も健康こそ最大の資本ですから。

  最後に、社会の動きを経営者としてどう見ているのかお聞かせいただけますでしょうか。

ここ最近大きな話題を集めているChat GPTに代表されるAIテクノロジーの著しい発展について伺います。

AIの進歩が速すぎて、社会のルール作りがどうも追いついていない現状があると思います。私たちはどうやってAIが社会全般にもたらすであろう様々な変化に対応していけば良いでしょうか?

また、どんな心構えを備えたら良いでしょうか?

田中さん: 社会のルール作りが後手に回ってしまうのは、ある程度仕方ないとみています。AIは加速度的に発展しているので、先回りしたルール整備は困難な気がします。また、AI技術による社会の発展をいたずらに制限しないためには、ルールを設けるにしても一定の柔軟性も必要だと思います。

なにしろ急ぐべきは、AIに関する教育ではないでしょうか。特に最近は、一般人でもAIを容易に扱えるようになってきているので、倫理観や社会的な影響を考慮できるようなリテラシー教育を施さなければ、AIと上手に付き合える世界にはならないでしょう。

当然ビジネスに対してもAI技術の影響は大きいですよね。AIに代わられる仕事も出てくるでしょうし、一方で新たな職種やビジネスチャンスも出てくるでしょう。経営者としては常に柔軟な視点でこの動きを捉えていきたいと思っています。

また先ほど芸術の話が出ましたが、最先端技術が発展してきているからこそ、その対極にある芸術の重要性はますます強くなると考えています。なぜ対極かというと、コンピューターが一定の正解を出すことに長けている一方で、芸術は昔から人間一人ひとりの「直感」から生まれて、「直感」に働きかけてくるものであり、正解がないものだと考えているからです。

技術の発展は避けられませんし、今後ますます加速していくでしょう。もちろんそれは悪いことばかりでもありません。しかし、そんな時代だからこそ、われわれ一人ひとりの「直感」を拠り所とする芸術の重要性も増してくるのではないでしょうか。要はそれらのバランスを取っていくことが、今の時代で、我々の生活が豊かになっていくための秘訣のような気がしています。

※聞き手はThe Voice 編集長シャオシャオ

※ゲストの肩書きや記事の内容は全て取材当時(2023年4月)のものである。

編集後記

ADワークスグループは創業以来130年以上が経ちました。染物業から始まり、近年では収益不動産事業を軸に目覚ましい発展を遂げてきました。

田中さんは若い頃一生懸命に勉強して取得した不動産鑑定士の資格が全ての始まりとなり、その後半世紀にわたり不動産のプロフェッショナルとして世の中に比類なき価値を提供し続けてきました。

田中さんは起業家として経営者として、誠実で、情熱的で、積極的で、柔軟で、大胆で、好奇心旺盛で、起業家精神に満ち溢れています。

自らが持つ可能性の扉を開き続け、時代の変化を先取りしつつもしなやかに変貌を遂げ、ADワークスグループを群雄割拠の不動産業界で大輪の花を開かせ、著しい成長をリードしてきました。

また、会社の可能性を信じ、会社と共に成長したいと考える社員の幸せや健康を思う優しい経営理念もとても印象的でした。

社員の多様性を尊重し、豊かな個性を育み、生き生きと暮らし、個人の成長と会社の成長を重ね合わせ、最終的にサスティナブルで調和の取れた社会の実現にも大きく貢献しています。

田中さん、どうもありがとうございました。

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