2025年7月 堀井 良教さん
(総本家 更科堀井 九代目、株式会社更科堀井 代表取締役社長)
人間万事塞翁が馬

─ 先日は、日本の食を世界に誇るそうそうたるメンバーが集まった素晴らしい受章の大祝宴が開催されたそうですね?
堀井さん: 今回の「名工」の受章は、服部栄養専門学校・前校長故服部幸應先生のご推薦でいただいた事もあり、キッコーマン茂木名誉会長を始め、フレンチの三國シェフ、中華の脇屋シェフなど飲食業の方々が発起人となってホテルニューオータニで祝賀会を催してくださいました。当日は多くの料理業界の友人にレシピを提供していただき、そばや天ぷらなど江戸料理を中心としたバラエティに富んだお料理で皆さまをおもてなしいたしました。普段から親しくお付き合いいただいているお仲間にお祝いいただけた事を有り難く、幸せな事と感じております。
─ 更科堀井総本家の歴史を教えてください。
堀井さん: 創業は寛政元年(1789年)。今年で236年目となります。初代は、信州特産の信濃布を商っていたのが蕎麦屋に転じたもので、領主・保科家の江戸屋敷から程近い麻布永坂町に店を構えた。看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。「更科」とは、信州そばの集散地だった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと伝えられております。
─ ご自身のプロフィールを教えてください。
堀井さん: 早稲田中・高では水泳部。慶應義塾大学に進学。大学では新体道棒術部に所属、1984年に文学部哲学科を卒業。卒業後は、大学院に進むつもりだったのですが、もう少し現実的な勉強をしたほうがいいと思って、アメリカでMBAを取得する計画でした。そのタイミングで、父親から『更科堀井をやらないか』と言われ、突然でしたが、二つ返事で「やります」と言いました。私が『やる』といわなければ、父は、店をつくらなかったでしょうね。父の代だけで終わるなら、再興する意味もないですから。本家本元の「更科堀井」を後世に残すという想いは同じだったようです。
親父が言っていたのは、とにかく『旨いそばをつくれ』でした。私もそれでしか存在意義を証明することはできないと考え、休みごとに先輩のところに伺い、勉強させてもらいました。そんな日々が、それが6年間ほど、続きました。 更科堀井がマスコミに再三取り上げられるようになったのは、「手打ちを打ち出してから」 当時29歳だった私が決断したことでした。230余年の時を経て、積み重ねられた老舗の味は、その想いを引き継ごうとする者にしかつくれません。
現在、「更科堀井」総本家は、麻布十番と立川の伊勢丹、日本橋の高島屋に出店しています。すでに十代目のSFCを卒業した長男の良光が経営を担当、次男の良広は、京都の立命館大学を卒業後に、「菊乃井」本店での修行を終え、日本橋店の店長として毎日蕎麦を打っています。
─ 今後の事業展開は?
堀井さん: 厚生労働省という政府の機関から「名工」という名誉ある称号をいただいたわけですから、これまで以上に江戸の食文化の一つ「そば」の素晴らしさを次世代に、また海外に伝えていく事が使命であると考えています。
またグルテンフリーや健康食品としての蕎麦の可能性も探究して行きたいと思っています。
─ ご自身の座右の銘を教えてください。
堀井さん: 「人間万事塞翁が馬」
─ お忙しいところ取材を快く引き受けていただき、誠にありがとうございました。